プロフェッショナルの厳しさを知る
飛鳥はよく「日本のレビューというものは…」と、アメリカのブロードウェイのレビュー・ガールと、自分たちの決定的な違いについて、静子たち後輩に語っていたという。
楽劇部の研究生は、初任給20円をもらって、日本舞踊、ダンス、歌唱を教わるところから始まる。しかし、海の向こうのレビュー・ガールは、タイピストやウエイトレスの仕事をして、週に何回か、1時間何ドルというお金をなけなしの給金から払ってレッスンを受けて、芸を身につける。
しかも専属制ではないから、年に2回、オーディションのチャンスを狙って、競争の上、チャンスを掴むことができるのは実力者だけ。タップダンスも、バレエも、ジャズダンスも、必要に応じて踊れないといけない。そのために、お金をかけて踊りを身につけて、オーディションに挑戦する。5000人の応募者から、選ばれるのはわずか50人。
だからラジオシティ・ミュージック・ホールのロケッツも、ダンサーのスタイルと美貌を売り物にしたジーグフェルド・ガールたちも、雇う側には顔立ちから髪の色、容姿まで厳選することができる。一度、ステージですべったり、間違えたりしたら、何年も舞台に出ることができない。そんな厳しい世界なのだと、飛鳥は後輩たちにいつも話していた。
初給20円は、当時としては破格のギャランティである。その給金をもらって、ダンスや歌唱を学ぶことができるのは幸運かもしれないが、一人一人の覚悟や、芸に対する厳しさは、自ずと違ってくる。三笠静子が「神様みたいに」思っていた飛鳥明子のストイシズムは、ショウビジネスに対する厳しさであり、のほほんと青春を謳歌するようにステージに立っていた後輩たちに対して「こうあるべき」という信念でもあった。