目がくりくりしてウェーブのかかった髪の航一さんを、みどりさんは「天使がやってきた」と喜んだ。事情を聞いた時はかわいそうだと思ったが、当時まだ家にいた長男と五男も含め、「みんなでかわいがって、うちの子として育てようね」と家族で話した。
家にやってきてすぐ、美光さんがお風呂に入れた。着替えを手伝っていたみどりさんが、何の気なしに「よかったね、お父さんと一緒にお風呂に入って」と声をかけると、航一さんはあたりを探すかのように後ろを振り返ったという。
「しまったと思いましたけれど、もう取り返しがつきません。これからはお父ちゃんと呼ぼうか、とか言ってその場を収めましたが、わが家に来る前のことは触れてはいけないような雰囲気でした。3人で川の字になって寝ていても、夢でうなされる。指しゃぶりもひどくて、心に傷を負っているのだろうと夫婦で話し合いました。それでも兄たちと同じように、いつしか航一も自然にお父さん、お母さんと呼ぶようになりました」(みどりさん)
昼はお店に連れていき、仕事が一段落つくと草滑りに連れて出た。地域のボランティア活動も、いつも親子一緒だった。里親家庭では、里親と里子の姓が異なるが、保育所や学校に事情を話し、「宮津航一」として受け入れてもらった。
保育園の時、初めて字を覚えた航一さんが手紙を書いている。〈みやつこういちのいちにちはとてもたのしいです。あさおきておかあさんのてをおとうさんととりあいっこします〉
「これを読んだお父さんは、天才だとびっくりして、日記帳を買いに走りました(笑)。親ばかですよねえ」(みどりさん)
4歳の頃、ニュースで「ゆりかご」が映し出されると、「僕ここに行ったことがある」と言い出した。みどりさんは「よかったね。作ってくれた蓮田(太二)先生に命を救ってもらったんだよ」と答えた。
「『ゆりかご』に預けられた時、僕はすでに3歳だったので、記憶があったんでしょうね。宮津家とは血のつながりがないことも、うすうすわかっていました。宮津家に来る前の3年間は、自分のなかの1ピースが埋まらないという思いがあったような気がします。真実告知は、折に触れ受けていました。両親は僕が尋ねると、隠さず、ありのままに答えてくれましたね」(航一さん)