たび重なるおかしな要求に気の重い日々を過ごしていたが、いいこともあった。父が回復して車いすに乗れるようになり、ゆっくりだが言葉も話せるようになったのだ。しかし、脳に損傷を負ったせいか感情失禁を起こすことがあった。そのなかで気になったのが、「弟と妹が怖い」という言葉だ。

よくよく聞いてみると、上の叔父に社用車を返すように言ったら物を投げつけられた。叔母たちが自分の給与金額を引き上げたので咎めたら怒鳴られた。下の叔父が会社の経費で落とした領収書を毎日のように精算しにやってくる――など、知らなかったことがたくさん出てくる。

これはもう犯罪じゃないか!

以前の父は、私が叔父や叔母を少しでも批判しようものならば、必死になって庇っていた。父の本心と真実を前にして、怒りと悲しさに身が震えた。

とはいえ、ここまで叔父や叔母たちをつけあがらせたのは紛れもなく父だろう。弟に車を買い与え、妹の家計を補填。ほかにも、旅行資金を出してやり、甥・姪たちの進学、習い事、留学などの際には支援金を送っていたそうだ。

家に入れるお金より、弟や妹たちに費やした金額のほうがはるかに多いことは明らか。しかし、それを知りながらも父と一緒にいることを選んだのは母と私だ。

私から見れば異常なきょうだい愛だが、父はただ両親が残した「きょうだい仲よく」という言葉を守ったのだという。そう話しながら涙を浮かべた父の顔は忘れられない。だからと言って、なぜ私たち家族が犠牲にならなければいけないのか。

4人は手を替え品を替え、いまも父の有価証券や不動産、金銭などを要求してくる。「もう、きょうだいに会いたくない」と話す父や母と相談し、私が矢面に立つと決めたが、時々我慢の限界を迎えることもある。

つい、パソコンで「縁切り神社」と検索してしまうが、ここまできて逃げるわけにはいかない。父の財産は、母や私の財産でもあるのだ。彼らと闘い続けることで、父と家族でいることを選んだ自分の決断に意義を持たせたい。

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