何億という遺産をすべて騙し取られて

井手 昭和天皇の弟君である高松宮殿下は、とても気さくな方だった。SPが苦手で、ご自分で車を運転して外出なさることも。僕が、勤め先の帝国ホテルで休憩時間に外に出たら、歩いている殿下にバッタリ会ったことがあってね。驚いてご挨拶をしたら、「よぉ」と手を挙げられた。

山岸 外出が、いい息抜きになっていたんでしょうね。

井手 リベラルな考えの持ち主で、世界情勢をよく見ている方だった。これは母から聞いた話だけど、大戦前、東條英機が首相になればアメリカとの戦争は避けられなくなる、と大変危惧されていたらしい。そんな殿下の存在を、昭和天皇はとても大事になさっていた。

山岸 1987年に殿下が亡くなった時のこと、覚えていらっしゃる? 豊島岡墓地に向かう皇族の車列が止まらないように、信号が全部青になっていたって。

井手 僕たち一行はマイクロバスで行ったけど、確かに一度も止まらなかった。殿下の葬儀は、費用や交通、警備などあらゆる面で昭和天皇の葬儀の予行練習となり、2年後の崩御の際、滞りなくとりおこなうことができた、と聞いています。

新年祝賀の儀のあと、高松宮邸に集まった皇族方を、久美子さんが撮影した1枚。前列左から上皇陛下、上皇后陛下、常陸宮殿下、常陸宮妃華子殿下、高松宮殿下、後列左から三笠宮殿下、秩父宮妃勢津子殿下、高松宮妃喜久子殿下、三笠宮妃百合子殿下、近衛甯子さん(三笠宮家第一女子)。1965年か66年に撮られたものと思われる

 

妃殿下が風邪を召された折、久美子さんが代筆をした短冊。有栖川流の手が美しい。晩年は書画の個展も開いていた

山岸 子どもの頃、純おじちゃまのお母様はなんてお美しい方なんだろう、と思っていました。お料理も得意で、字もお上手で。

井手 母は妃殿下から、有栖川流の書道の手ほどきを受けていたからね。妃殿下の母上は、有栖川宮家から慶喜家に嫁いだ方だったので。宮家に嫁いでからも、亡くなった母上に代わって、妃殿下は毎週小石川の屋敷で妹たちに書道を教えていた、と聞いています。

山岸 徳川のお姫様として育てられた思い出は、本にも書いてあったわね。とても細かいことまで記憶されていて。

井手 でも、母は決して気取った人ではなかったよ。活発で、テニスも麻雀も大好きで。結婚して徳川の家を離れてからは、苦労もたくさんしたと思う。最初の夫を戦争で失い、婚家によって大切な娘と引き離されたあと、前夫の親友で医師の井手次郎と再婚。戦後、父が横浜で開業した時は専門の外科以外、何でも診たので、ちょっとやそっとのことでは動じなくなったんだろう。ヤクザも来たし、パイプカットなんて言葉も平気で口にできるようになって。父の病院で、毎日よく働いていた。

山岸 そんなお母様に、純おじちゃまはずいぶん苦労をかけたのよね。私がおじちゃまに24年間会わなかったのも、昔からいい噂を聞いていなかったからよ。雑誌で話すようなことじゃないかもしれないけど。

井手 いや、いいんだ。確かに僕は若い時から放蕩を重ねてきたから。その最たる出来事が、2004年に妃殿下が亡くなった時に母が賜った何億という遺産をすべて騙し取られてしまったこと。僕のような世間知らずを騙すのは、プロの詐欺師から見れば赤子の手をひねるようなものだったんだろう。親類からよく思われていないのは、当然のことだよ。