右から久美子さん、喜佐子さん、慶光さんと夫人の和子さん
2人が対談したのは、慶喜の弟で、水戸藩藩主・徳川昭武の住まいだった「戸定邸」。松戸市戸定歴史館が隣接している(撮影:本社写真部)
高松宮邸(今の高輪皇族邸)でプールを楽しむ久美子さん、純さん(中列・右2人)と、パラソルをさす妃殿下
新年祝賀の儀のあと、高松宮邸に集まった皇族方を、久美子さんが撮影した1枚。前列左から上皇陛下、上皇后陛下、常陸宮殿下、常陸宮妃華子殿下、高松宮殿下、後列左から三笠宮殿下、秩父宮妃勢津子殿下、高松宮妃喜久子殿下、三笠宮妃百合子殿下、近衛甯子さん(三笠宮家第一女子)。1965年か66年に撮られたものと思われる
妃殿下が風邪を召された折、久美子さんが代筆をした短冊。有栖川流の手が美しい。晩年は書画の個展も開いていた
両親と写る、幼少期の妃殿下と慶光さん(写真上)。父である慶久さんは慶喜の子として家督を相続、将来は首相候補と期待された貴族院議員だったという。海外からわが子に宛てた葉書(写真下)には、「オトヽサマヨリキクコ ヨシミツ」とある。マメに妻子に送った手紙が数多く残されていることからもわかるように愛情深い人だったが、久美子さんの誕生を待たずに亡くなった
海外からわが子に宛てた葉書(写真下)には、「オトヽサマヨリキクコ ヨシミツ」とある。マメに妻子に送った手紙が数多く残されていることからもわかるように愛情深い人だったが、久美子さんの誕生を待たずに亡くなった