お姫様が都営住宅に。明るく生きる、という強さ

山岸 もちろん、警察には相談したんでしょう?

井手 100回以上出向いた。でもよく言われるように、詐欺罪での立件の難しさを思い知ったよ。どうにもならなかった。80歳を超えた母に、涙ながらに全財産を失ったことを伝えた時、母はたった一言、「最初からなかったと思えばいいじゃない」って言ったんだ。心底、すごい人だと思った。すべてを手放し、クーラーもない、郊外の狭い都営住宅に引っ越すことになっても、文句ひとつ言わない。敷地3400坪のお屋敷で生まれ育ったお姫様がさ。

山岸 想像だにしていない晩年を、悔やむことなく過ごせたのは、育った環境が大きいかもしれないわね。

井手 大勢の人に囲まれて育った母たちは、何気なく口にする「やりたくない」「嫌い」「おいしくない」といった言葉が、どれほど周囲を傷つけてしまうかを知っている。だから、相手を不快にするネガティブな言葉は口にしないよう、厳しく躾けられた、とよく言っていた。僕が夜間、清掃の仕事に出かけて、昼間はおふくろのために3食作るような生活になっても、狭いお風呂で背中を流してあげると、「極楽、極楽」って喜んでくれた。明け方、帰宅した僕を起こすまいと、音を立てないようにトイレに行っていたのも知っている。

山岸 なんだか、泣けてきちゃう。純おじちゃまとは、再会したあとに電話で6時間くらいお話ししたじゃない? 人生のどん底を味わって、心からお母様を大切にしようと思ったこと、私たちが受け継いだものの大切さが身にしみてわかったことが伝わってきて。だから、私が任された慶喜家のあれこれを一緒にやっていけそう、と心から思えたの。

井手 美喜ちゃんがそう思ってくれるなら、嬉しいよ。