朝ドラを断る選択肢はなかった
私はもともとパニック障害の気があり、密室が怖く、ひどい時には電車にも乗れません。それがなぜ自宅で起きたのかと後から分析したのですが、おそらく朝ドラの仕事が始まったら、一切出ることのできない巨大な密室に閉じ込められる、といった感覚に陥ったのでしょう。
それなのに自分のなかでは、お断りするという選択肢はありませんでした。その理由のひとつが、母の存在です。
母は私が中学2年生の頃に膠原病を発症し、入退院を繰り返してきました。私はいわゆるヤングケアラーで、学業と家事で手いっぱい。下校後はそのまま母が入院している病院に行き洗濯物を持ち帰る、帰宅したら家事や食事の支度――といった生活でしたから、テレビを見る余裕はほとんどありませんでした。
そんな私が唯一見ていたのが、NHKの朝ドラ。母が朝ドラファンだったので、私も習慣的に見るようになったのです。
『らんまん』執筆のお話をいただいた時も、母は入院中でした。コロナ禍で家族の面会が許されなかったので話し相手もいなくなり、母はみるみる体調が悪くなっていました。
もし私が朝ドラの脚本を書くことになったら、母はどんなに喜ぶだろう。これが最後の親孝行になると思ったのです。その頃には、母はあまり話せなくなっていましたが、電話で「こういうお話をいただいた」と報告すると、「大丈夫。できる、できる」。
母は私が子どもの頃から、いつも私にこう言ってくれるんですが、もう、魔法の呪文ですよね。(笑)
その後、母の病状はどんどん悪化し、最後は家に連れて帰って看取りました。亡くなったのは、『らんまん』の制作発表があった2022年2月2日の5日後。結局、オンエアを見てもらうことは叶いませんでした。