選択性難聴で聞こえないふり
退屈な人と、どうしてもお話をしなきゃいけないってことがありますよね。
わたしの知りあいにも、昔の同じじまん話ばっかり、毎回もう100回くらいはしている人がいるんですよ。
だけど、そういう人から逃げ回っていてもしょうがない。
そういうときには、選択制難聴を使うの。
聞いていても、別のことを考えるわけよ。
ちょっと内容がちがうんだけど、ある兵隊が捕虜になって、長時間歩かされていたとき、その人だけ目がキラキラして楽しそうだったんだって。
あとから別の兵隊が、「あのとき、どうして楽しそうだったんですか?」って聞いたら、「手品のアイデアを考えてたんですよ」って。
これも一種の選択制難聴かもね。
それと、もうひとつ方法があるの。
退屈な人とつきあうときは、「あらほんと? あははは、そうなの?」とか、「えー、知らなかった」とか、ちょっとオーバーに反応して、表情筋の体操をするのね。
退屈な人に退屈な顔をしてると、共倒れになっちゃう。まあいいかって思って、表情筋を動かす。これって、プロもやってるみたいなの。
プロの声優の人が、すごく苦手そうな人としゃべってるのを、遠くで見たことがあるのね。
とても表情たっぷりに話してるから、そのときは「なんだ、調子いいな」と思ったけれど、あれはトレーニングをしてたんだと、あとから思ったの。
わたしたちも、表情筋のトレーニングだと思えばいいのよ。耳でその人の話を聞きながら頭であれこれアイデアを練りつつ、ときどき「なるほど」と、ニッコリうなずくの。