ピンク・レディーという「虚像」を生きて

そもそも私には、経済観念というものが備わっていませんでした。ピンク・レディーを結成してデビューする18歳までは静岡県の実家暮らし。わが家はサラリーマン家庭でしたが、お小遣い制ではなく、欲しいものがあれば申告するという方針だったので、やりくりすることを知らずに社会人となってしまったのです。

ピンク・レディーの初任給は5万円。歌手になる夢が叶ったという喜びでいっぱいで、お金のことは意識していませんでした。生活費は事務所持ちでしたので、当初は実家に1万円を仕送りしていました。

忙しくてお金を使う暇がなく、ピンク・レディー解散後には、通帳に4000万円ほど貯まっていたのです。ソロになってゼロから出直すという決意表明のような感覚で、両親にそのすべてを渡しました。

家を建てることにしたと聞いて、とても嬉しかったのを覚えています。命がけで仕事に取り組んでいた4年7ヵ月の日々が形になって残るなら本望だ、と思ったのです。

今考えてみると、ピンク・レディーとして活動していたときは、多くの賞賛を受けても喜びは薄く、心が満たされることはなかったように感じます。プロジェクトチームで作り上げた、いわば「虚像」であり、どんなに忙しい日々を送っていても、自分の足で歩いているという実感が得られなかった。

「このままではいけない。自立しなければ」と感じていたはずなのに、ソロ活動を始めてからもわからないことや苦手なことを人に任せてしまっていた。それが3億円の負債という結果に繋がってしまったのかもしれません。

周囲に相談すると、10人が10人とも口を揃えて、「未唯には事務所経営は無理」「破産宣告をして、大きな事務所に預かってもらうのが一番」とアドバイスしてくれたのですが、チャレンジしないでギブアップするわけにはいかないと思いました。両親から、「自分がしたことの責任は、自分で取らなければいけない」と育てられたからかもしれません。

もう一つ、自分の強運を信じていました。歌手になりたいと思っていた10代の頃、「なれるか、なれないか」ではなく「なるんだ!」という一念で夢を叶えたことを思い出し、今回もポジティブに捉えようと決めたのです。

ピンク・レディー時代に培った根性もあると自分に懸けて、「できるところまで自力でやってみる」と、負債を背負う覚悟を決めました。