時を同じくして世田谷のビルの売却に乗り出しましたが、バブル崩壊とともに土地の値段が急落し、思うようには売れません。しかも2億円の負債に対する利息の返済だけで月に120万円、事務所を回していくためのコストを含めると月600万円もの資金を稼がなくてはならなかったのです。

悩む間もなく会社を縮小し、同時に生活を切り詰めることに。5人いた社員はデスクと付き人だけを残し、1LDKの事務所を兼ねたマンションに引っ越すことから始めました。

とにかく現金がなかったので、マンションの契約をするための費用にも困っていたのですが、捨てる神あれば拾う神あり。親しくしていた実業家の女性が手助けをしてくれました。彼女は、車がないならタクシーに乗れば? タクシー代がままならないのなら、電車やバスを利用すれば? と、世間知らずだった私を諭してくれた友人でもあります。

その教えに従い、借金を返済するまで私服は一着も買いませんでしたし、外食も控えて質素な食事をしながら、暮らしを徹底的に切り詰めました。

一方、世田谷のビルは2億円まで値段を下げてもいっこうに売れません。利息だけ払い続けていたのですが、元本は1円も減らない状態。もう限界だと思い、銀行の利息の支払いを止めて、保証会社に権利を移すよう申請したのです。

保証会社と話をすると、ビルは1億2000万円なら引き受けますと言われました。「4億円が1億2000万円?」と残念でしたが、やむなく決断することに。それでも8000万円の借金が残っていました。

ありがたいことに、芸能のお仕事の依頼が途切れることはなかったものの、毎日、何らかの支払いがあるので自転車操業で乗り切るしかありません。その頃になると私は、現在、現金がいくらあって、いつギャラの振り込みがあって、どこから先に支払いを済ませるべきかをすべて把握していました。

毎朝、デスクのスタッフに、「今日はこの支払いはできないので、こういう理由で少し待ってもらってください」とメモ書きにして伝えるのが日課に。これ以上、人に迷惑をかけたくないという一心で、経理や経営、自己改革の勉強にも取り組みました。