「今考えてみると、ピンク・レディーとして活動していたときは、多くの賞賛を受けても喜びは薄く、心が満たされることはなかったように感じます」(撮影:天日恵美子)
〈発売中の『婦人公論』1月号から記事を先出し!〉
18歳でピンク・レディーとしてデビューした未唯mieさん。親や事務所の管理のなかで、「金銭感覚が育たなかった」と語ります。お金の知識を身につけることなく独立した彼女は、多額の負債を抱えることに。当時を振り返って感じることとは――。(構成=丸山あかね 撮影=天日恵美子)

4億円の自宅兼事務所ビルを建築

ピンク・レディーを解散したのは1981年、23歳のときでした。その後はソロ活動を開始し、29歳で気の合う音楽仲間たちと事務所を設立。私は代表になりましたが、事実上の経営は仲間の一人である男性に任せっきりにしていたのです。

33歳のある日のこと、スタッフの女性から「未唯さん、会社の経営のこと、ちゃんと見たほうがいいですよ」と指摘されました。

これがきっかけとなり、会計士の先生に経営状況を確認してもらったところ、私名義で組まれ返済の滞っているローンが2億円以上、法人税などの税金も1年半ほど滞納していて、合計すると3億円近くの負債があることが判明したのです。

「えーっ!」と思わず声を上げたと思いますが、その実、あまりピンときていませんでした。今にして思えば金銭感覚の欠如でしょう。バブル経済の真っただ中で、ローンを組みたければ銀行がいくらでもお金を貸してくれる時代でしたから。

独立した当初、経営を任せていたその男性から「事業をするためには大きなお金を動かすこともあるから、担保になる不動産を持っていたほうがいい」と提案され、東京・世田谷区に4億円かけて4階建ての自宅兼事務所のビルを建築しました。

それまで住んでいた自宅マンションを売って得た2億円を差し引いて、2億円のローンを組むことに。これが負債の大きな要因となっていたのです。そのほかに外車のローンなどもありましたが、男性を責めてもしょうがない。

「どうせ帳簿を見てもわからないのだし」と人任せにしていた自分が悪いのです。経営に疎い人に会社を任せていた自分にも人を見る目がなく、本当に世間知らずだったと思います。