今ようやくスタートラインに
戯曲というものは、舞台で演じられて初めて世の中の人に知っていただけます。そこで自分の戯曲を上演するために、劇団を立ち上げました。芝居を打つにはお金もかかります。3作品上演した段階で、会社員時代の貯金が底をつきました。(笑)
私は江戸川乱歩や、民俗学者の宮本常一(つねいち)、民藝運動の提唱者・柳宗悦(むねよし)など、実在する人物に想を得た作品を何作か書いています。また、敗戦後に朝鮮半島にとどまらざるをえなかった日本人女性たちを描いた作品もあります。
なぜそうしたテーマに取り組むのか。ひとつには同居していた母方の祖父の存在があります。祖父は私が中学生の時に亡くなりましたが、祖父と母は折り合いがあまりよくなく、私もなんとなく近寄りがたかった。祖父は満洲(現・中国東北部)にいたことがありますが、話を聞こうとしても、一切話してくれませんでした。
祖父はなぜ、何も語らなかったのか。その問いかけは、自分が今生きている時代を確かめる土台にもなります。祖父を通してですが、戦争の気配を知っている最後の世代でもある私は、この問いかけに向かわなくてはいけない。そう思ったのです。
初めて書いた評伝劇『乱歩の恋文』は大正12年が舞台です。その年、関東大震災があり、日本人の価値観が大きく転換した。戦争への道に進む時期です。
井上先生は常に、後世の人に何を《渡す》か考えて作劇を続けてこられました。私はそれを受け継ぎたい。その思いから、自分が知っている祖父の背中みたいなものを書き留めるのが、初期のてがみ座のテーマでした。