ジャズ・カルメン

この頃、服部は、名作オペレッタをジャズ・ミュージカル化しようと音楽的な野心を燃やして、東宝のプロデューサーに提案。

それが1947(昭和22)年1月28日からの日劇公演「ジャズ・カルメン」として実現した。

この時、シヅ子は妊娠6ヶ月だった(写真提供:Photo AC)

演出は宝塚歌劇を育てた白井鐡造、振付はベテラン舞踊家・益田隆。

カルメン(笠置)、ホセ(石井亀次郎)、エスカミリオ(林伊佐緒)、ミカエラ(服部富子)、ラスキータ(暁テル子)のキャスティング。

服部の自伝「ぼくの音楽人生」(93年・日本文芸社)から引用する。

「そのころ、笠置君は、吉本興業の社長の子息で早稲田の学生だった吉本穎右君と相思相愛の仲になっていた。先方の親の反対で正式結婚は難行していたが、状況は好転していた。結婚を前にして、最後の舞台では、はなばなしくカルメンを演じたいという彼女の懇望に、ついにハラボテ・カルメンとなって日劇に現われたわけである。」

服部渾身の「ジャズ・カルメン」は、もともと1946年9月に上演予定で準備が進められていたが、東宝の組合ストライキで延期になっていた。

穎右は、身重な身体ではもしものことがあったらと心配、しかし主治医・櫻井先生が楽屋に詰めて、何かあればすぐに対応することで、シヅ子も出演を決意。カルメンを演じることへの情熱が湧き上がってきたのである。

この時、シヅ子は妊娠6ヶ月だった。