穎右の子を宿す
それからのシヅ子は多忙を極めた。「スウィングの女王」の完全復活に、戦前からの贔屓、戦後になってからのファンが喝采を送っていた。
9月18日から、有楽町・日劇で、シヅ子をメインにしたレビュー・ショウ「スヰング・ホテル」(作・演出・金貝省三、音楽・谷口又士ほか)が開幕した。
共演は、戦前から活躍していたハワイ生まれの日系ダンサーで歌手のヘレン本田、戦前の日活京都のトップスターだった深水藤子、そして、シヅ子の後輩でもあるSKDの星光子。
この華やかなステージが千秋楽を迎えたのが10月7日。
この頃、シヅ子は妊娠に気づく。穎右の子を宿していたのだ。シヅ子は、穎右と結婚をして、子供を産み、家庭に入ることを決意したのである。
さて、服部良一もまた音楽家として多忙な日々を送っていた。
1946年3月、コロムビアから柴田つる子と岡本敦郎の「青春プランタン」(作詞・サトウ・ハチロー)、5月にはエノケンと池真理子の東宝映画主題歌「幸運の仲間」(同)、7月には二葉あき子と近江俊郎の「黒いパイプ」(同)、11月には藤山一郎の「銀座セレナーデ」(作詞・村雨まさを)と次々とレコードをリリース。
特に「黒いパイプ」と「銀座セレナーデ」は大ヒット、服部はレコード、舞台と大忙しだった。