看護の道に挫折して

バスケで身を立てることは諦めたものの、じゃあほかに何をすればいいのかさっぱりわからない。卒業後はどうしようと迷っていたときに、看護系の仕事に就いている母親から「看護学校に進んでみれば?」と勧められたのです。今となれば短絡的だったと思いますが、その場の流れで「よくわからないけどいいかもしれない」と進学を決めました。

当時はまだまだ、男性の看護師が少ない時代。その学校も圧倒的な女性社会で、男子学生は僕一人でした。男子校にいた人間が、いきなり女性しかいない環境に飛び込んだのですから、孤独なんてものじゃない。

しかも実習は病院内で行われるため、学校と病院を往復するだけの毎日で、外の空気を吸う機会もないのです。何より、目の前で亡くなっていく患者さんを見るのが本当につらくて。精神的にまいってしまい、2年で中退することになりました。

普通ならここで実家に戻るのでしょうが、僕はどうしても帰りたくなかった。地元はいいところもたくさんあるのですが、狭い社会なので「Aちゃん、学校辞めちゃったらしいよ?」みたいに、よその家の事情が筒抜けなんですね。それには耐えられないと思いましたし、腫れ物に触るように接してくる周囲と向き合うのもつらいなあ、と……。

そんなとき、沖縄に住んでいた姉が「じゃあこっち来てみたら?」と声をかけてくれて。渡りに船とばかりに、しばらくの間、姉のところに居候させてもらうことにしたのです。

このとき強く思ったのは、「まだそれが何かはわからないけど、これからの時間で自分が本当に好きになれるものを見つけたい」ということ。言ってみれば「自分探し」ですね。

どうせならこの機会に日本一周してやろうと、ネットで住み込みのアルバイトを検索。北海道の礼文島で働いていたときに、運命の出会いを果たします。