「いろいろなことをやっている自覚はあるので、シンガーやボーカリストより、《歌手》《歌い手》という呼ばれ方が一番しっくりきますね」(撮影:宅間國博)
歌謡曲、J-POP、叙情歌など、さまざまなジャンルを歌いこなす林部智史さん。はじめから歌手を目指したわけではないと語りますが、今に至るまでにはいくつもの挫折と再起の日々がありました(構成=上田恵子 撮影=宅間國博)

浪人して入った高校で直面した現実

2016年にデビューして以来、コンサートアーティストとして生の歌声を届けることを第一に活動しています。この秋、全国ツアーで9月の千葉を皮切りに12の都市をまわり、11月に神奈川で千秋楽を迎えました。

よく「林部さんの歌手としてのジャンルは何になるのですか?」と訊かれるのですが、ひとことで言うのは難しくて。所属レコード会社は若者が好むJ-POPが主流。僕のレパートリーには歌謡曲やカバー曲などもあります。自身で作詞作曲した楽曲もあるため、シンガーソングライターとご紹介いただくことも。

さらに「はやしべさとし」名義では、日本の懐かしい唱歌や童謡といった叙情歌を歌っています。よく冠に「泣き歌の貴公子」とつけていただくのですが、「しっとりと心に訴えかけてくる」という評価を得られたのなら、とても嬉しいことです。

いろいろなことをやっている自覚はあるので、シンガーやボーカリストより、「歌手」「歌い手」という呼ばれ方が一番しっくりきますね。

とはいえ、僕は小さい頃から歌手を目指していたわけではありません。学生時代の夢はプロのバスケットボール選手になることでした。小学2年生からバスケに打ち込み、高校も地元の強豪校、県立山形南高校を受験しています。しかしそこは偏差値も高かったため、学力不足で不合格。それでも諦めきれず、浪人して予備校に通い、1年遅れで入学を果たしました。

そこまでして入った高校のバスケ部でしたが、全国大会に進むと、とんでもない高校生がうじゃうじゃ。地方で少しばかり強くても、全然歯が立たないのです。もはやプロを目指すどころではなく、現実の厳しさに愕然。

「センス」という言葉で片づけるのは大嫌いですが、否応なくそれを突きつけられるのがスポーツの世界なのだと思い知らされた3年間でした。