撮影:帆刈一哉
本日、大宅壮一ノンフィクション賞が発表され、『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』の小川さやかさん(立命館大学教授)が受賞しました。文化人類学者の小川さんは、香港の安宿で、アフリカと中国・香港をつなぐ非公式な交易を調査。その過程で明らかになったことは(撮影=帆刈一哉)

金銭的には苦しいはずなのに、「ゆとり」がある

2000年代の半ばに、「一旗揚げよう」と中国を目指すアフリカ商人が増加しました。その拠点となったのが香港です。私は2016年の秋から半年間、香港でも有数のディープな場所として知られる「チョンキンマンション」の安宿に滞在。アフリカと中国・香港をつなぐインフォーマル(非公式)な交易を調査しました。その成果が本書です。

私は長年、東アフリカのタンザニア商人の生計実践を中心に調査研究を行っています。当初は「経済のあり方」に関心があり、日本から地理的にも文化的にも遠いところに行きたいと、タンザニアを調査地に定めました。都市部では、出稼ぎに来た若者たちが野菜や古着などを扱う零細商人として生計を立てている。近年経済成長が著しく、国民のほとんどが商人であるこの国で、彼らの経済活動がどのように成り立っているかを知りたいと思ったのです。

タンザニアでは、商人たちの会話の中で「ウジャンジャ」という単語がよく使われます。「賢さ」とも訳されますが、日本語では「ずる賢さ」に近いもの。ごまかす、嘘をつく、逃げるなどは「ウジャンジャ」な行為とされるいっぽうで、「お前はウジャンジャだな」と言われると、「生きる知恵があるな!」と褒められたことになるのです。この言葉をきっかけに、彼らの独特な価値観に魅せられました。

人類学の調査の基本は「参与観察」といって、「弟子入り」して信頼関係を育み、少しずつ生活や仕事を教えてもらうというものです。そのためには、四六時中一緒にいてくれる師匠兼友人のような人を見つけるのが大事。でも、嘘も裏切りもある地下経済のいろはを教わるなら、一筋縄じゃいかない人物じゃないと面白くないのです。香港でもそんなキーパーソンを探したものの、1ヵ月経ってもまったく見つけられず、焦りは募るばかりで……。

そんなある日、レストランで中古車ディーラーのタンザニア人男性、カラマに出会います。豪快な性格で、風貌はパンダにそっくり。「チョンキンマンションのボス」を自称する彼は、同胞の相談にのっては助けの手を差し伸べていました。

ビジネスの現場や仲間内のパーティー、葬式にまで参加して見えてきたのは、「彼らの経済が『ついで』で動いている」ということ。商人たちは、儲かった時とそうでない時の差が激しい、不安定な生活を送っています。でも自分に余裕があるときは、他者の役に立つようなことを「ついで」にしてあげる。この「相手に負い目を感じさせない」ことこそが、経済活動を円滑にする暗黙のルールだったのです。

カラマが巧みな話術と茶目っ気とともに「ついで」を積み重ねることで、相手もそれを返し、お互いを助けるセーフティーネットができていく。金銭的には苦しいはずなのに、何か「ゆとり」がある社会のありようは、私にとって新鮮であり驚きでした。

私は、子どものころ保守的な地域で育ち、学校では「浮いている子」だったので、人と深く関わることや「みんなと同じ」「ふつう」という言葉が好きではありません。でも、カラマとの日々を経て、私のような人間でも生きやすい社会を築けるのではないか、と考えるようになりました。「彼らの社会こそが理想的」とは言いませんが、日本の生きにくさを解消するヒントがあると思います。