妻は本当は“書ける人”
本作には色々なキャラクターが登場しますが、ホームズ、モリアーティ教授、ワトソンの3人がスランプに苦しむ描写が多くあります。特にワトソンは自分に近くなりすぎて、少し困りました。
ワトソンは“書く人”でもあるので、書き悩んでいる時の自分と重なり、客観的に書けなくなった。そこには、当初想定していなかった難しさがありました。
主観的になりすぎると、“読者の方々に客観的に楽しんでもらう”というところがお留守になってしまうんです。そうならないよう気をつけていたのですが、書いているうちにだんだん自分の世界に没入してしまう。その感覚を引きはがすのに苦労しました。
ワトソンの妻のメアリは、スランプのホームズにばかりかまけている夫に業を煮やし、反旗をひるがえすように小説を書きはじめます。うちの妻はメアリのようなタイプではないけれど、ここにも僕の潜在的な恐れがあるのかもしれません。妻は非常に読書家で、面白い視点をたくさん持っているから、本当は“書ける人”だろうと僕は思っていて。
もし妻がメアリのように猛然と書きはじめたら、僕はちょっと太刀打ちできないかもしれない。そういう怖さや不安も、作品に投影されている部分があります。