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父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

前回「性虐待を受けて家を飛び出した後、転機となった元夫との出会い。「普通のふり」を重ねるうちに書き換えられた記憶と、体に染み付いたトラウマの傷」はこちら

結婚を機に、貧困生活から脱出

今からおよそ20年前、人生初の結婚をした。結婚してはじめて、私は貧困から脱することができた。仕事を見つけても長続きしない1番の理由は、「毎日決められた時間に決められた場所に行く」のが困難だったからにほかならない。

悪夢やフラッシュバックでまともに眠れず、恐怖に怯える長い夜を越えて、朝がくれば仕事に赴く。それは、こうして文字で綴るよりも何倍も辛く、苦しい日々であった。

睡眠がまともに取れる日は、正直なところ今でも少ない。だが、昔に比べればこれでもかなりマシになった。ぐっすりと眠れた翌朝の頭は、驚くほど冴えている。“景色が違って見える”と言っても過言ではない。睡眠の質はQOLに直結するのだと、眠れた時ほど痛感する。

元夫が毎月決まった額の給与を家計に入れてくれることが、とても心強かった。彼は基本的に穏やかな性格で、思い通りにならなくても怒鳴ったり殴ったりしない。外では良い顔をつくり、家の中では王様になる。それが普通だと思っていた私は、内と外の使い分けがほとんどない彼の気性に驚いた。

幸せだった。少なくとも、2人だけの生活だった間は、私たちはうまくいっていたと思う。彼が子どもを望み、私の妊娠が判明するまでは。