孫の誕生を急かす母に、憤りを覚えた

結婚報告や結婚式の段取りのため、絶縁していた両親と交流を再開したのち、私の記憶が一部欠損したことは前回のエッセイに記した。ただ、欠けた記憶の大半は、父親からの性虐待にまつわるものであった。肉体的虐待、特に母親から受けた教育虐待は、この当時も鮮明に残っていた。

「なんでこんな問題もできないの?!」

怒声と共に飛んでくる定規は、いつも耳元で嫌な音を立てた。竹の定規で打たれた箇所は、大抵ミミズバレになる。平らな面で正確に打つのは案外難しいものらしく、母が振るう定規はいつだって角の部分で柔い肌を傷つけた。傷ついたのは肌だけではなかったが、母は“心”という不確かなものを尊重する人ではなく、私の傷は増える一方だった。

結婚式の2次会で、「子育ては体力がいるから若いうちよ」と母に言われた。テーブルの下で握った拳の爪が、手のひらに食い込んだ。「お前のせいで欲しくても踏み切れないのだ」と、そう怒鳴ってやれたなら、どんなにスッとしただろう。

虐待の過去がなかったら、私はおそらくすんなり子どもを欲していたと思う。だが、女性全員が子どもを望んでいるわけではない。それなのに、令和の現代でさえ「結婚」と「出産」はセットとして扱われる。そのことを、ひどく理不尽に感じる。

産む・産まないの選択も含めて、決める権利は本人にあるはずなのに、結婚した途端「当然子どもは産むんですよね?」という空気に晒される。

元夫の求めに応じて、新婚旅行を境に避妊をやめた。それから数ヵ月後、私は妊娠した。桜が咲き乱れる、春の頃だった。