昭和、平成、令和と時代とともに日本の歌謡界を牽引してきた歌手・五木ひろし。長い芸能生活の中で、多くの歌手や俳優、文化人、政財界の要人と交流を深めてきた。前回の連載に登場した高倉健とある意味対照的なキャラクターの持ち主も、五木ひろしの芸能生活に大きく影響を与えていた。その人物とは、やはり20世紀を代表する大スター、石原裕次郎。今、明かされる交流秘話とは――。(構成◎吉田明美)

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Tシャツに短パン姿の裕次郎さん

石原裕次郎さんに初めて会ったのは、テレビ番組だったんです。僕がデビュー2年目ぐらいだったかな? すでに大スターであり歌手でもあった裕次郎さんと僕の2人の歌番組が企画されたんです。

収録はスタジオだったんですが、僕は当然早めに着いて待機していました。緊張もしていましたよ。そしたら黒塗りのロールスロイスがすーっと入ってきて、ドアが開き、ビーチサンダルが見えました。え?と思ったら、Tシャツに短パン姿の裕次郎さんです。これがかっこいいんですよ。いきなりやられましたね。(笑)

なにしろ、子どものころに映画館のスクリーンで見ていた人ですからね。10歳にもならない頃の記憶ですが、福井の映画館へ誰かに連れていってもらったんです。超満員で立ち見の中、人と人の間をちょこちょこと縫って前の方まで行ってスクリーンを見上げたら、裕次郎さんが映っていた。作品は『嵐を呼ぶ男』で、彼はドラムのステッキをかっこよく振っていました。(笑)

そのご本人が目の前で短パンにTシャツで立っている! その場がパーッと明るくなって、すごいオーラでしたね。とにかく周りを明るくする太陽のような方でした。でも決してえらそうにはしていない。

収録の合間に気さくに話しかけてくれて…。裕次郎さんってヨットマンでしょう?その仲間と海に出ると、いろいろなヒット曲を替え歌にして歌っていたらしいんですよ。『よこはま・たそがれ』も、男ばかりの船の上で、ちょっときわどい替え歌になっていたぞと教えてくれました。そうやって海の上で楽しんでいらしたんでしょうね。とてもテレビでは歌えないですが。(笑)

僕は福井の日本海を見て育っているけれど、あちらは太平洋。神戸の須磨で生まれ、小樽にもいらっしゃったけど、逗子とかヨットのイメージが強いですよね。明るさが全然違うんですよ(笑)。でも、2人とも海が好きという共通点もあり、その番組がきっかけで一気に親しくなりました。