父の兄・映画カメラマンの田口修治さんの鎌倉の家にて。伯父にもらったパンダのぬいぐるみは生涯の友だちに(写真提供◎黒柳さん)

子どもたちが紛争の犠牲に

ユニセフの親善大使になったのは1984年です。きっかけをつくってくださったのは、後にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で高等弁務官をなさった緒方貞子さんでした。

緒方さんは、当時アジア地域でユニセフ親善大使を探していた事務局長のジェームス・グラントさんに私を推薦して、「これを読めば彼女がどんな人かわかるはず」と、『窓ぎわのトットちゃん』の英訳を渡されたそうです。

それを読んだグラントさんが、「テツコのような人なら、きっと子どもの気持ちをわかってくれる」と、親善大使に声をかけてくださったのです。

84年のタンザニアから始まり、2019年のレバノンまで、のべ39ヵ国を訪れ、とても言葉にはできないくらい凄惨な状況も自分の目で見てきました。日本で暮らしている私たちは、一応は、食べたいだけ食べられる生活をしています。でも、紛争地域の子どもたちは、そういうわけにはいかない。私たちも戦争中はそうでした。

ユニセフの仕事で行く国の子どもはみんな、赤ちゃんなのになんであんなおばあさんみたいな顔になっているのかなと思ったら、栄養失調で顔が痩せている。ほっぺたに縦ジワがいっぱいあって。

でもそれだけではないんですね。普通、赤ちゃんや子どもは目がみずみずしいけれど、お腹を壊して脱水症状になったりなんかすると、目もカラカラになる。それで老人みたいに見えるんだとわかりました。

それでも子どもたちは、私たちが行くと笑ってくれるんです。もちろん、笑うこともできない子どももたくさんいましたけど。骨と皮だけで身体の厚みが5センチくらいになった子が、一生懸命笑ってくれようとしているのなんか見ていると、胸がいっぱいになります。

ユニセフの活動を始めてからは、常に新聞やニュースなどで世界情勢を気にかけ、「行かなきゃ」と思うようになりました。そして自分が見てきたことを多くの方に伝えなければと、いてもたってもいられない気持ちになるんです。

なるべくテレビクルーと一緒に行くようにしたのも、テレビを通して、多くの方に紛争や飢餓に直面している子どもたちの現状を知ってもらいたかったからです。