きょうだいたちのケアを最優先に

美輝ちゃんのきょうだい2人は、おそらく今後両親と生活を共にすることはないだろう。だが、だからといって「助かってよかったね」と安易に言える状況ではない。きょうだいの虐待被害、ましてや殺人にまで及んだ両親の凶行は、子どもたちに深い傷を残す。心的外傷のケアは、早ければ早いほど予後が良いといわれている。逆に、ケアを後回しにすればするほど後遺症は重く長く、心身にのしかかる。

虐待に限らず、何らかの暴力(暴言含む)を間近で見てきた者は、暴力を強いられてきた側と同程度のトラウマを抱えることが医学的にも証明されている。最新版のDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)-5では、「事件を直接体験した人と、跳ね返りによってそれを体験した近親者を同等に扱うべきだ」としている。

弟の性虐待被害を知りながら、押し黙ることを強いられてきた代理受傷者の告発『ファミリア・グランデ』(カミーユ・クシュネル/柏書房)において、著者は次のように述べている。

“第三学年のとき、わたしは弟を見捨てる。そのことをわたしは忘れていない。”

子どもが子どもを守るなんて、実際には不可能だ。だが、代理受傷者の多くは自罰的感情に苛まれ、それゆえに心身の調和を崩すことも稀ではない。私が知らなかっただけで、姉や兄も両親に対し何らかの怯えを抱いていた可能性は否めない。同じく、美輝ちゃんのきょうだいたちも、不必要に己を責める危険性が高いといえよう。彼らの未来が守られるよう、報道のあり方を含めて、彼らの周りにいる大人たちは細心の注意を払い、何よりも子どもの心を守る方向に舵を切ってほしい。

失われた命はかえってこない。美輝ちゃんの未来は、残酷かつ理不尽な形で奪われた。同じ悲しみを繰り返さないために、問題の表面ではなく、国をあげて虐待問題の根本に向き合ってほしい。

学生時代、父は何度も私の首を絞めた。私が今も生きているのは、ただ運が良かっただけに過ぎない。密室の家庭内において、子どもの安否が“運”の要素で定まる社会であってほしくない。子どものSOSを拾うと同時に、大人側のSOSをも真摯に拾える社会こそが、被害を防ぐ最短ルートであるように思う。

写真提供◎photoAC