百福一人の手では追い付かず、家族総出の作業となりーー(写真提供:Photo AC)
2018年に放送されたNHK連続テレビ小説『まんぷく』がNHK BSとBSプレミアム4Kで再放送され、再び話題となっています。『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、安藤仁子さんは一体どのような人物だったのでしょうか。安藤百福発明記念館横浜で館長を務めた筒井之隆さんが、親族らへのインタビューや手帳や日記から明らかになった安藤さんの人物像を紹介するのが当連載。今回のテーマは「魔法のラーメン ~家族総出で製品作り」です。

家族総出で製品作り

1958(昭和33)年の春になりました。

即席麺は少しずつ完成に近づいていました。百福や家族の心と同じように、玄関先の桜の花びらも、心なしか華やいで見えました。試作品を作るところまで来ていましたが、百福一人の手では追い付かず、家族総出の作業となりました。

冨巨代と規矩の姉妹(仁子の姪)も手伝いました。仁子の父の郷里二本松からも親戚の森軍造が来てくれました。森は素朴な青年で、信用組合で働いていましたが、倒産の後も帰らず、池田の安藤家の前に下宿していたのです。猫の手も借りたい忙しさでした。宏基(次男)は小学校四年生、明美(長女)は小学校三年生です。親の手伝いをできる年頃になっていました。

「おーい、手伝え」という声を聞くと、宏基と明美は喜び勇んで小屋に駆け込んだものでした。

長男の宏寿はもう成人していました。仁子は人一倍気を使い、「宏ちゃん、宏ちゃん」と呼んで可愛がりましたが、知人の家に長く滞在したり、一人で中国大陸に渡るなど、なかなか家に居つかない子どもでした。