江利チエミさんのDNA
私がいう「歌のDNA」というのは単に歌だけではなく、江利チエミさんという方が生きた時代の「スピリット」や「環境」が大いに含まれていると思っています。
1953年、16歳の江利さんは、1ヵ月もの長い間アメリカに滞在し、エラやローズマリー・クルーニー、サミー・デイヴィスJr.、ルイ・アームストロングなど錚々たるアーティストたちと堂々と渡り合い、ジャズを本場で歌っています。
まさに「開拓者スピリット」。これこそ江利チエミさんの大きなDNA要素と申し上げて過言ではないかと思います。
そのような江利さんの素晴らしいキャリアを知ったのは、ほんの数年前のことなのですが、思えば私自身も24年も前に韓国で歌うことを始め、10年前にはニューヨークのジャズクラブで歌を歌い始めていました。
この私が、まさかまさかのジャズクラブです。このことに関しては、色々な方に色々なことを聞かれましたが、「自分の可能性を探し求めて辿り着いたのがニューヨークだった」ということに尽きると思います。
その地で、マンハッタン・トランスファーやロン・カーター氏など、考えもつかない最高峰のジャズアーティスト、ミュージシャンと出会い、レコーディングが実現、そして現在も親交が続いているのです。
JAZZという音楽を特段学んだわけでもなく、目指したわけでもない私ですが、そのようなところに行き着いたのはやはり江利さんの歌のDNAが私の体の中にあった所以なのだと感じます。