「これはもう教師をやめないと命に関わる、と迷わず退職したんです」
(撮影:岸隆子)

美術教師から一転、演劇の世界へ

ありがたいことに、体は股関節以外にトラブルはないのですが、ストレスに弱い体質で、それが原因で病気になったことがあります。

私は美術が好きだったので、大学は地元・青森の弘前大学教育学部に進み、中学校の美術教師になりました。これが本当に向いていなかった!(苦笑)

授業は楽しかったのですが、職員室での人間関係が苦手。当時は教師の世界にも男尊女卑が当然のようにまかり通っていて、1年目の私には、先輩方にお茶を出すという役目が待っていました。

ところが、なんせ新米教師ですから、休み時間は授業の教材を揃えたり準備することが多くて、ついお茶を出すのを忘れてしまう。気がつくと、先輩が私の机にポンと湯のみを置いていくんです。全員分の湯のみ茶碗を覚えて、今日こそお茶を出すぞと自分に言い聞かせて、休み時間を待っていたのを思い出します。

そんな環境に馴染めず、胃が痛ーくなっていって……。やがて片頭痛で朝も起きられなくなりました。医師は、「ストレスです。治すには環境を変えるのが一番」と。そのとき初めて、精神を病むと体に影響が出ることを知りました。これはもう教師をやめないと命に関わる、と迷わず退職したんです。

そんなとき、たまたま美術雑誌で目にしたのがアングラ演劇の特集記事。唐十郎さんや寺山修司さんが活躍していた時代です。それまで演劇の世界とは無縁だったけれど、本能的にピンときたんです。私が目指すのはこっちの道だと。

幼少期、下北半島の大自然の中で育ち、木登りしたり海に潜ったりして遊んでいたからでしょうか。遊びといえども命がけで、本能というか第六感のようなものが鍛えられた気がするのです。人生の要所要所で、勘が働くほうに導かれて歩いてきました。

このときがまさにそう。第六感に従って、東京の演劇養成所で学ぶことにしました。3年と期限を決め、ものにならなかったら青森に帰る覚悟で、母にもそう宣言してね。