上京後は、必死で勉強しました。演劇に関するあらゆる知識・技術を身につけようと、演劇専門書や脚本を読み漁り、バレエ教室に通ったり、いろんなジャンルの芝居を観て歩いたり。

アルバイトをしながらだから大変でしたけど、1人ではなく、みんなで話し合いながら芝居を作る過程が新鮮で、創造的で、どんどん興味が湧いていきました。好きになったらこっちのもんです。文字通り寝る間も惜しんで取り組めました。

ちょうど3年経った頃、仲間5人と女性だけの劇団「青い鳥」を結成します。自分たちで台本を書き、演出を手がけ、演じる、集団創作という方法で芝居作りを始めました。私はどちらかというと舞台美術や演出のほうに魅力を感じていて、役者にはあまり自信がなくて。「青い鳥」退団後も、舞台の演出の仕事がメインで、お声がかかれば時々ドラマや映画に出演するという感じでした。

転機が訪れたのは48歳のとき。「劇団☆新感線」からオファーがあり、W主演の一人を務めることに。私は、劇団時代から、自分は脇役向きだからと主役は避けてきました。主役はセリフが多いし、責任も重いですから。長い間逃げてきたツケが、とうとう回ってきたと思いました。

主役なのに何もできないんです。演出家の指示をこなせませんし、細かい段取りも覚えられません。「青い鳥」は自分たちの劇団だから自分の得意なところを自己流にやって済ませてきたけれど、人さまの書いたセリフを、演出家が望むように言うのが、これほど難しいことなのか。私は今まで役者として何をやってきたんだろうと、悔しくて情けなくて涙が出ました。

でも悔しかったからこそ、このままで役者をやめるわけにはいかないという欲が芽生えたんです。それからは心機一転、覚悟を決めました。本気になって役者業に取り組もう、それでダメだったら役者をやめよう、と。

そのスタートが50手前。ようやく役者として行けるかな、と思ったのは60歳過ぎです。演出家が私に何を望んでいるか、その狙い、段取りの意図……。それを自分の中で咀嚼して、私なりの役作りや表現を目指そう、そう思ったらガゼン楽しくなって、ようやく役者業に追い込みがかかってきた気がします。

<後編につづく


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