教養がありますか ――日課
朝起きてまず小用に立つ。トイレットの壁にカレンダーが貼ってあるので、
――*月*日、*曜日か――
と見る。友人とのおもしろい会話があった。「老人にはキョウヨウが大切なんだ」「教養?うん、大切かな」「それじゃない。今日用だ。今日、用があるかどうかだ」確かに。今日、用があれば生活にリズムが生じ、張り合いのようなものも生まれる。トイレットで、
――そうだな。今日は買い物に行こう――
寝室に戻り乱れたベッドを整える。これは過日新聞の広告欄に本の内容紹介があり“いつも機嫌のよい人の習慣”として“朝、ベッドを整える”があったからだ。“そうかなあ”と疑ったが、機嫌はよいほうがいい、とりあえずこのごろ実行している。
買い物は10時を待ち10時を過ぎてから。スーパーマーケットなど近所の商店はおおむねこの時間からだ。リュックを背負い、杖をつきトコトコと行く。脚が少し不自由なのは、5年前、自転車に乗り損ね、脊椎の第2腰椎の圧迫骨折、手術の必要はなかったが、6ヵ月コルセットを背負い痛みだけはとれた。歩行が弱くなり、家の中はともかく外は1000メートルくらい歩くと、
――もういいか――
である。出版社がすてきな杖を贈ってくれた。
――こんなもの、どこかに忘れるぞ――
と思ったが……忘れない。昔、昔、小説の新人賞の選考会、候補作品で眼の不自由な主人公が賊に襲われ、杖を捨てて大切な荷物を守った場面があり、委員の一人が「これはよくない。眼の不自由な人は杖が第一だ」と言っていたけれど、なるほど、なるほど、脚が不自由になっても杖を忘れることはないらしい。杖をついて行くとみんなが親切にしてくれる。身体はさほどうれしくもないが、
――この国も捨てたもんじゃない――
大袈裟ながら心がうれしい。
私の住む町は(ここだけではないのかもしれないが)脚腰の弱い人が多く、私が買い物へ行く午前中には、杖もあれば車椅子も目立つ。一本道をこちらから杖をつきつき行くと向こうからも杖がやってくる。近づく、すれちがう、べつになにも起きないけれど、一瞬、心の乱れがあるような気がして、
――これ、なんなんだ――
いまだによくわからない。