それが初めての、賭けて打つ麻雀であった

私は麻雀を、大学二年の冬におぼえた。これはオクテの方である。

満州じこみだと威張る父、寮で習いおぼえた兄が相手だった。私はルールブックを読みながらついて行った。たわいもない家族麻雀であり、一荘(イーチャン)をこなすのに四時間かかったりした。

動物学科に入ってから、同級生五人が、すべて打てるので驚いた。さほど上手くはなかったが、実験のしこみをした待ち時間などにヘイを乗りこえて前の雀荘(ジャンそう)で遊んだものである。金は賭けず、マイナスになったものが、ゲーム代を払うという健全そのものの麻雀だった。

油壷(あぶらつぼ)の臨海実験に行って、まず訊かれたのが、麻雀が打てるかということだった。当時の油壷には、娯楽がまったくなかった。松林と海があるだけであった。そこで、所員たちは、夜ともなれば卓を囲むわけである。

だが、マジメなものもいて、メンバーがなかなか揃わない。揃ったとしても、夜型人間と昼型人間とがいて、すれ違いになったりするのである。夕食を食べてから頭が冴え始めて、朝日が昇るまで実験室にこもるものがいて、周期が合わないのである。

だから学生がやってくると、嬉しくって仕方がないのである。遊び好きの研究生は、舌なめずりをして待っていた。

まだ、北風(ペーフォン)まである一荘麻雀だった。点数の計算だって、切り上げなしの頃である。

たまに研究生で打ち手が揃うと、一荘百回を一荘と呼び長期戦になるそうだった。

やれるかと訊かれたので、打てますと私は答えた。レートは、千点十円だった。

それが初めての、賭けて打つ麻雀であった。