「手一杯の方向性が違うから、十分に生きたというのは、生きてるだけで十分じゃないかという意味もある」(吉永さん)

長生きしたい?したくない?

吉永 自然災害や戦争は若い人の人生も奪う。無念さは私たちの数百倍でしょうね。それを思うと、私はもう十分に生きたな、と思うことがあるの。

残間 「もう十分」って、いつも言ってるわね(笑)。30代から聞いてる。

吉永 だって生きるって大変なことだもん。とにかく私はずっと手一杯だった。若い頃は食べていくだけで手一杯で、その後は子育て、今は老いや死を受け止めることに手一杯。手一杯の方向性が違うから、十分に生きたというのは、生きてるだけで十分じゃないかという意味もある。

老いると家族とか仕事とかから解放されていく心地よさもあるから、自分中心に生きる初体験でもあるし。一番楽しい時期だと言えなくもない。ま、要は開き直ったわけだよね。(笑)

残間 私は長生きしたい。小さい頃から病弱だったから生きることに対する執着が強いのかもしれないけれど、なんだかまだすべきことが残っているような気がするの。

吉永 会社を運営してたら簡単に消えることはできないもんね。私なんかは今日から消えますってことで済んじゃうけど。責任感の違いかな?

残間 58歳の時に立ち上げた大人世代向けのネットワーク、「clubwillbe」でセミナーを企画したり、合唱団活動を引率したりしているのだけど、責任感が生き甲斐に通じている、みたいなカッコいいことではなくて、メンバーの人たちから元気をいただいている感じね。それはとてもありがたいことだと思ってるの。