画家としても活躍していた八代さん。「髪形のイメージをササッと描いて伝えてくださいました」(大内さん)

 

新田 入院中は限られた人しか入室を許されないから、当然僕は八代さんには会えなかったけど、29年間ヘアメイクを担当していた聡子さんは、八代さんの事務所スタッフと代わる代わる病室へ行き、話し相手になったり、ほしいものを届けたり。僕は、毎日あなたから様子を聞いては、ああ大丈夫だって。

大内 9月、10月、11月と本当にお元気だったんです。病室では、シャンプーをさせていただいたり、足湯を用意してマッサージをしたり。病院食に飽きたとおっしゃるので、大好物の焼き芋を買って持って行ったらすごく喜んでくださって。

新田 電子レンジの使い方を初めて覚えた、と言ってたよね。

大内 そうそう(笑)。それから新幹線の車内でよく召し上がっていた崎陽軒のシウマイ弁当を差し入れたときは、日頃は小食な八代さんがほぼ完食。これが11月の終わりでした。

同じ頃、八代さんの病室に泊まり込んだ日があって。夜、ちょうどテレビで再放送されていた八代さんの特番を一緒に見ながら横で何曲か歌ってくださったんです。声もしっかり出ていて、八代さんも「まだ歌えるよ!」とおっしゃっていた。ご本人も年明けの復帰を信じていたと思います。

新田 僕は八代さんと二人でラジオ日本の『ムーンラウンジ八代』という番組をずっとやらせていただいてきたんだけど、八代さんに「新田くん、頼むよ!」と言われ、入院中はナビゲーターとして一人、番組の留守を守っていた。

病室で聞いている八代さんに向けたコメントを入れたりしながら、パワーアップした八代さんが年明けに戻ってこられるんだな、と勝手にワクワクしてたんだ。