新田 29年の間に、付き人さんやマネジャーさんが何人も替わっていくなかで、ヘアメイクのあなたはずっと八代さんと一緒だった。
大内 実は25年ほど前に八代さんと交わした約束があったのですが、当時を知る人間が私しかいなくて。それは何かというと、焼き芋が大好きな八代さんに、「もしも私が死んじゃったら、お棺の中にお芋を入れてね」と言われていたんです。
お茶目な八代さんの冗談だったのかもしれませんが、お約束を果たしたくてスタッフのみなさんに話したら、ぜひ入れましょうと言ってくださり、お顔の近くにお芋を入れることができました。
新田 亡くなった翌日は大晦日。人が集まるのが大好きだった八代さんがきっと望んでいるだろうと、翌日もみんなで集まったよね。いつものように「おはようございます」と声をかけて、手を合わせて、献杯。目の前で起きていることが信じられなくて、不思議な感覚だった。
大内 私も、病気が人の命を奪っていくさまを目の当たりにしたけれど、それを心が受け入れられない状態でした。
新田 マスコミ発表が1月9日。泣いたりするのは八代さんが好まないと思ったので、八代さんとやっていたラジオ番組で、淡々と八代さんの思い出を語りました。これまで「弟分」としてずっとかわいがっていただいて、これから恩返ししていけるかなと思っていたのに。
大内 1月中は、ホントにつらすぎて、私は脱け殻のようでした。今、四十九日も過ぎて、「日にち薬」という言葉もあるように、少しずつ変化してきました。とはいえ、何かにつけて八代さんとの思い出が蘇ってしまって……。