八代さん専属のヘアメイクとして長い年月を共にした大内聡子さん(右)と、大内さんの夫で八代さんと長く親交があった俳優の新田純一さん(左)(撮影:藤澤靖子)
「雨の慕情」「舟唄」などで知られる《演歌の女王》八代亜紀さんが、2023年12月30日、急速進行性間質性肺炎で亡くなった。八代さん専属のヘアメイクとして長い年月を共にした大内聡子さんと、大内さんの夫で八代さんと長く親交があった俳優の新田純一さんが、八代さんを偲び語り合う(構成:平林理恵 撮影:藤澤靖子)

<前編よりつづく

八代さんが結婚の保証人に

新田 八代さんがいなかったら僕らは出会っていないよね。

大内 そう。八代さんがつないでくださった。

新田 僕はNHKの『レッツゴーヤング』で1981年に芸能界入り。26歳のとき、八代さんの座長公演にゲストで出していただいたことがきっかけで親しくなり、その後、旅番組やラジオ番組なども一緒にやらせていただきました。仕事以外でも、休演日にはゴルフに、公演後はバリ島へ連れて行っていただいたりなど素敵な思い出がいっぱいあります。

大内 私はもともと美容師で、派遣でヘアメイクの仕事をやっていました。和髪や着物の着付けの技術を身につけ、ある歌手の方のメイクを担当していたときに、八代さんの専属にと声をかけていただいたんです。

八代さんには、地方公演、海外公演はじめ、なかなかできない体験をたくさんさせていただきました。東日本大震災など大きな災害や、コロナ禍もあったけど、八代さんは大変な思いをしている方々のそばに行き、寄り添って、歌を届ける。世の中が止まっているときでも動いていらした。

30年近く一緒にいて、暇だった時間が思い出せないくらい、仕事をさせていただきました。