『源氏物語』を執筆した経緯

さて、今回は、紫式部が『源氏物語』を執筆した経緯について考えてみたいと思います。

雲林院の観音堂

前回も書いたように、紫式部は、一条天皇の中宮・彰子が教養や美意識を磨くための家庭教師のような存在でした。

紫式部が選ばれた理由について、「宇治市源氏物語ミュージアム」館長で学芸員でもある家塚智子さんに、お話を伺いました。

「紫式部のような教養のある女房を置いて、中宮の後宮を知的で文化の薫り高いものにする。文化に通じた一条天皇ならば、そんな“彰子サロン”を居心地の良い場所だと感じて、彰子にも関心を寄せてくれるだろう。父である藤原道長は、そう考えたのです」

その策が功を奏し、紫式部が出仕してから数年後に彰子は懐妊。のちの後一条天皇となる皇子を出産します。天皇と外戚関係を築き、自身の権力を盤石なものにする。そんな道長の野望を、紫式部が陰ながら支えたわけです。