先人の“考察”や解釈

現代の私たちが原文で『源氏物語』を読むことはかなりハードルが高いわけですが、昔の日本人にとっても決して読みやすいものではなかったということ。そのため、わかりやすい解説書などが、当時から出回っていたと知り、いにしえの人々に親近感がわきました。

また、私たちがよく知っている「夕顔」「末摘花」といった登場人物の呼び名も、後世の読者がつけた「あだ名」なのだそうです。というのも、『源氏物語』の原本に人物の名前はほとんど書かれていないため、ストーリーを理解しやすいように、誰かが仮の名前をつけ、それが定着したということのようです。

もちろん、登場人物などのモデルに関しても、これまでにさまざまな説が生まれたはず。

たとえば、菟道稚郎子を祀る宇治上神社には、「政局に巻き込まれた不遇の皇子・八の宮が、都を離れて姫君たちと隠棲する」という物語の設定にぴったりで、私たちも「なるほど!宇治上神社が八の宮邸のモデルに違いない」と納得してしまうわけですが、実際のところ、作者である紫式部がどのように考えていたのかはわからないのです。

宇治と言えば「憂し」。宇治川の景色は憂いを帯びて見える

しかし、先人の“考察”や解釈によって宇治上神社や宇治のイメージが人々に共有され、宇治観光の楽しみ方が広がったということ。そんなことも頭に置きながら宇治を訪ねるのも、おもしろいのではないでしょうか。