パロディなども生まれていた

執筆から1000年経っても色褪せることのない『源氏物語』の魅力。

宇治・平等院前の見事な藤棚

 

それがさまざまな芸術作品に影響を与え、二次創作、三次創作を生み出してきたと、「源氏物語ミュージアム」の家塚館長は語ります。

「平安時代末期には既に注釈書のようなものが記され、その後、あらすじだけをまとめた梗概書や、今でいうパロディなども生まれたそうです。現代の私たちが、ネット上でドラマの“考察合戦”をするように、独自の解釈や読み解き方をする人が次々に登場したのです。

たとえば、日本書紀に出てくる悲劇の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ/応神天皇の皇子だが、兄に皇位を譲るため自害した)が八の宮(「宇治十帖」に登場する光源氏の異母弟。その姫君たちと薫や匂宮との悲恋が物語の中心となる)のモデルだという“考察”は、鎌倉時代の注釈書に書かれています。

それが受け入れられ、時代を経ていつのまにか定着して、宇治といえば「憂し」、つまり、「憂いを帯びている」というイメージが再生産される。そして現代の私たちも、宇治上神社を見ると八の宮の住まいを連想してしまうわけです」