わけもなく惹かれるもの
どんなことも楽しむためには真剣でないといけない。
しかし、自分が望んだ通りの人生を送れなくても、深刻になることはない。
〈誰でも、ふとしたときに、わけもわからないまま、なにかに惹かれてしまうことがあるらしい〉 (天野健太郎「あいまいな国境の歴史(抄)」前掲書所収)
わけもわからぬまま惹かれたものに夢中になれれば、何があっても深刻にならないで生きられる。わけもなく惹かれるものは趣味といわれるが、趣味といえるためには条件がある。
まず、役に立つ、立たないという発想から自由にならなければならない。どんなことでも役に立つかとか意味があるかとか問わないと気がすまない人がいる。
趣味がなくても生きていける。役に立つか立たないかといえば、役に立たない。役に立つかどうかばかり考えていては、趣味に没頭することはできない。
次に、何か結果を出さないといけないという発想から抜け出すことである。
専門家といわれるくらい究めると面白くなるものだ。好きでたまらないので打ち込んだ結果、専門家のようになることはあるが、究めることを目標にすると、結果を出せなければ、たちまちつまらなくなる。
これだけの時間と労力をかける価値はないのではないかと思うようになるからである。
もっとも、それほど時間も労力もかけないうちに断念することがある。
定年後、これからは趣味に生きようと思って高価な一眼レフカメラを買ってみても、すぐに使わなくなることがある。
シャッターを押しさえすれば写真は撮れるものと思っていた人は、写真は思いの外難しいことにすぐに気づく。
写真の撮り方のような本を買って読むと、構図にさえ注意すればいい写真が撮れると思うかもしれないが、撮ってみたい被写体が目の前に現れた時、理論は吹き飛んでしまう。シャッターを切らなければチャンスを逸してしまう。
誰かにほめられなければ気がすまない人は、写真を撮っても誰からもほめられないのでがっかりすることになるかもしれない。人から認められなくても、写真を撮ること自体がおもしろいと思えなければ続かない。
趣味に理由は必要ではない。天野がいうように「わけもわからないまま」惹かれるものである。