子どもが自分で決めること

アドラーの父親のことを思い出した。オーストリアでは、10歳になるとギムナジウムという、大学に進学するための学校に入るか、職業学校に入るかを決めなければならない。アドラーはギムナジウムに入学したが、親が年齢を1歳偽って入学させた。

ところが、成績は振るわず、最初の年に落第した。特に、数学の成績が悪かった。

どんな人生を生きるかは本来子どもが自分で決めることである(写真提供:Photo AC)

両親が強くプレッシャーをかけ、競争意識の強い級友たちよりも1歳年下であったこともあり、アドラーはこの学校に適応することは難しいと思った。

父レオポルトは、成績が振るわないアドラーに、ギムナジウムをやめさせ、靴作り職人の徒弟にならせると怒って脅かした。

この脅しがよほど怖かったのか、その後、一生懸命勉強すると、たちまち成績は上がり、苦手だった数学も克服した。

このような強制による教育をアドラーは批判しているので、本当にこのようなことがあったとは思えないが、もしも事実なら、父親は反面教師になったことになる。

さらに、問題は、湯川の父親についていえることだが、親が子どもの人生を決めようとしていることである。

親は子どもが自分では決められないと思うか、それとも、一生を左右するかもしれない進路は親が決めなければならないと思うのかもしれないが、どんな人生を生きるかは本来子どもが自分で決めることである。