「母」だからこそできること

それは、子育てを始めてから何年経ってもなかなか自分では得ることのできないもの。なぜなら、1人でできることではないから。
いい結果が伴えば子ども達もそれなりの達成感を得られるものだが、そこに至るまで支えてきた親にとっても大きな喜びとなり、やがて疲れなど吹き飛んでむしろ「感謝」の気持ちに昇華していく。
不思議だけど、あとからとても清々しいのだ。

試合の勝ち負けに関わらず、大切な子ども達のためなら命をも削れる、「母」だからこそできることだ。

今どきの千羽鶴。オサレ過ぎてビックリ。 私も心を込めて折りました。来年も折れるといいんですけど…

この作業を「めんどくさい」「苦しい」「わずらわしい」と思ってしまったら、残念ながらここから得られるものは何もないように思う。

いろんなチームがあって、考え方もやり方もさまざまだ。
我がチームは同期ごとに毎年サポートの仕方を考えるので、息子達がメインで大会に出る時、その代の親が全てのサポートの仕方を考えることになる。
集まる人間が違えば化学反応も違うはず。また今年とは全く違うやり方で選手たちをサポートすることになるのかもしれない。前例に囚われず、よりよいやり方のために毎年変わっていくその柔軟さも、母ならではのような気がする。

いろいろ楽しみなのだ。

息子たちの成長、野球の上達はもちろんだが、頼もしい母仲間が集まってみんなでやり遂げるサポートが、どんなに大変でも、いずれ子育て時代の宝物のようになることも。