俺って仏教徒だったのか?
残った問題は、墓と寺との関係。墓は、自宅近くの霊園を購入し、改葬することにした。夫が寺の住職に檀家をやめると告げに出向いたところ、住職の嘆きは想像以上のものだったという。
「ご先祖様に申し開きができない、これまで檀家総代を務めたこともある家なのに、離檀などありえない……と、絶対に認めないの一点張りだったようです」
世間では、何百万円もの離檀料を要求されるという話も聞く。「金で済むなら」という気持ちにもなるが、住職としては、寺の存在意義にかかわる譲れない一線だったのかもしれない。
「仏の道や寺の使命など、諄々(じゅんじゅん)と説教されたようです。『再考します』と言って帰ってきたそうですが、帰宅して最初の言葉が『俺って仏教徒だったのか?』でした」
そこで、冒頭の「クリスチャンになる!」につながるのだが、住職をなだめ、自分自身の人生をまっとうするための苦肉の策でもあった。
「私自身は、ミッションスクール育ちだったのでキリスト教には親しんできましたが、信者になろうとは思いませんでした。宗教とは無縁のビジネスマンだった夫が、クリスチャンになるなんて呆れましたが、これが思いのほか真剣で。逆に言えば、住職の仏教徒としての言葉に、何か気づきがあったのかしらとも思いましたね」
「クリスチャンになりました」と伝えた時の住職は、何も言わず、「わかりました」とだけ返したという。その後、円満に離檀した。
「肩の荷が下りたのでしょう。帰宅した夫は久しぶりにすっきりした表情をしていましたね」
その後、ヒトミさん夫婦は、住職に長年の守護を感謝して、両家の墓から遺骨を取り出し、新しい霊園に改葬する一連の作業を終えたのだった。
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葬儀にもその後の供養にも豊富なメニューが用意されている。選択肢が多くなればなるほど、何を選び、どう偲ぶかが問われる。
私たちもいつかは送られる側になる。納得して送られるためには、事前の情報収集に加え、家族や周囲とのコミュニケーションが不可欠だ。
今から、自分自身の考え方を整理して、伝えておくことが肝心だろう。