がんになり末期をホスピスで過ごす母に、「よく知らない浄土に行くなんて、納得できない」と言われたら……。日本仏教についての講演を全国で行う文化人類学者の上田紀行さんは、母を納得させるためにどのような行動に出たのでしょうか?

※本稿は、上田紀行著『立て直す力』(中公新書ラクレ)の一部を、再編集したものです。

阿弥陀様とかお浄土とか言われても

ぼくの母は仏教が嫌いでした。その母が、がんになり、末期をホスピスで過ごしていたときのことです。突然、母は葬儀についてぼくに聞いてきました。

「あなた、じゃあ、南無阿弥陀仏でお葬式をやって、私はお浄土に行くのよね。だけど私さ、納得できないわ。私、阿弥陀さんが何なのかも知らないし、でも南無阿弥陀仏を唱えて、何も知らないお浄土に行っちゃったりするわけでしょ。納得できない!」

これは自分で納得するまでは、単に伝統だからと言われても、他の人たちがそうやっていると言われても、決して妥協しない母らしい言葉でした。

母はぼくの幼少期から青春期に大きな葛藤をもたらした存在として、たびたびぼくの本にも登場します。ぼくが2歳半の時に父は全財産をもって失踪し、離婚後は母は翻訳家として生計を立てることになり、毎日のように徹夜仕事をしていました。いまのように男女平等の意識がない時代に、女性がフリーランスとして働いていくつらさもずいぶん味わったことと思います。男社会への怒り、憤りは並々ならぬものがありました。

仏教というのは、日本社会における制度的な意味では伝統的な社会の中で、女たちを縛り付けたあの家制度の権化と言えるところもあります。檀家制度、家の墓を守らなければならない。男社会の中で踏ん張って生きてきた母にしてみれば、女たちを抑圧する、その頂点に、仏教制度と檀家制度があるというイメージをもっているわけで、そもそも仏教には親和性がない。

そして阿弥陀様とかお浄土とか言われても、何も知らないのにどうしてそんなところに行かなきゃならないのか、というところでしょう。ご先祖のお墓まいりには行っていましたが、自分が死ぬ、となったときに納得して行きたいという思いが芽生えてきたのだと思います。

 

お坊さんのイメージがわるい?

全国各地で様々なテーマで講演をしていますが、仏教関係の講演の時は、仏教についてのイメージを聞く質問をしています。四つの言葉を言って、それに対してよいイメージを持っていれば、手を挙げてもらいます。

第1問 「仏教」にいいイメージを持っている人
9割以上の人が手を挙げます。

第2問 「日本仏教」
手を上げる人が6割とか5割くらいに減ります。

第3問 「日本のお寺」にいいイメージを持っている人は?
地方だと4割くらいですが、都会だと2割くらいになってしまうこともあります。

第4問 「日本のお坊さん」
これも都会と地方によって違うし、聴衆の顔ぶれによってかなり違いますが、都会だと1割いかないことが多いです。

いずれにしても、仏教へのイメージはいいのですが、お寺やお坊さんへのイメージがよくないのです。