仏教には本来、多様な側面があります。思想としての仏教、社会実践としての仏教、悟りを目指す仏教、往生へと導く仏教、先祖を祭る仏教……。

もしかしたら、思想としての仏教、悟りを目指すものとしての仏教のイメージは悪くないのだと思います。しかし、多くの人にとって、現在の仏教のイメージは葬儀や法事だけおこなうものになっています。そして僧侶は堕落しているとか、既得権益にしがみつき、お金だけを気にしていると考えている人も少なくありません。

たしかにそのような僧侶もいます。でも、「この社会の苦しみを救いたい!」「困っている人の助けになりたい!」と心の底から思い、全身全霊で行動を起こしている僧侶もたくさんいるのです。

 

墓地の管理会社から出禁にされたお寺

ぼくの著書『がんばれ仏教!』の冒頭には、上田家の檀家寺の若住職があまりに仏教のことを知らず、また自身が仏教を信じているようにも見えないので、家族親族からたいへん不評で、「いつか寺を変えないととてもじゃないけど成仏できないね」と言い合っていたという話が載っています。

じつはそのお寺はぼくの祖父が東京でお墓を買い求めたときに、そのお墓の区画に付いてきた寺だったのですが、他のお墓の購入者からも不評だったらしく、ある日ぼくの叔父のところに墓地の管理会社から電話がかかってきました。

「あのお寺はあまりにひどいので、お墓に出禁にしました。ですので、次のお寺はそちらさんで探してください。べつにもう宗派にはこだわりませんし、仏教でなくてもいいですから」と。すごい電話です。そしてちょうど次のお寺をどこにするべきか、叔父から相談されていたところだったのです。

『立て直す力』上田紀行・著 中公新書ラクレ

ぼくがお願いしようと思っていたのは、浄土真宗大谷派の存明寺(ぞんみょうじ)住職の酒井義一さんでした。酒井さんはものすごくヒューマンなお坊さんで、若いころからハンセン病の療養所に通って活動していました。東日本大震災が起こってからは、何十回も若い僧侶や若い門徒さんと被災地にでかけて炊き出しなどをしたりしている僧侶です。そうした活動は単なる社会的活動でなく、その向こう側には仏教の大きな慈悲心があり、いつも心をうたれていました。

母に酒井さんのことを話すと、「そんな素晴らしい人なら、お会いしたいわ。でも私、こんな状態だから、このホスピスに来てもらえるかしら。それに体力が落ちているから、30分しか持たないと思う。30分で阿弥陀さんとお浄土のこと、説明してほしいの」

酒井さんに、「母が、こんなことを言っているんですけど」と正直に伝えました。酒井さんは、ぼくの講演などを何度か聞いてくださり、ぼくと母とのあいだにあった壮絶な葛藤や、母のキャラクターもだいたい把握してくださっていました。

しかし時期が悪い。お盆のまっただ中でお坊さんがいちばん忙しい時期なのです。でも事情を理解し、「こうやってお声がけをいただいたのも、何か大きな意味のあることだと思います。ぜひ行かせていただきます」と快く引き受けてくださったのです。