母、私、酒井さん、全ての人生と思いが重なり合い、そこで生と死が語られるホスピスの場、それはもはや阿弥陀さまとお浄土の「説明」の場ではありませんでした。ぼくは酒井さんが母に語りかけ、母がその話をうなずいて聞いている場にいながら、いつしかこう確信していました。
「阿弥陀さまの力が、まさにこのホスピスの部屋の中に働いている。そしてこの場にもうお浄土が垣間見えている。まさにここが浄土なんじゃないだろうか」
説明ではなくて、もうそこがお浄土であり、阿弥陀さまの光がここに届いている。それはぼくにとって一生忘れることがないであろう、大きな宗教的体験でした。そして生きていることのありがたさ、この母と一緒に過ごしてきたことのありがたさ、こうやって死の直前にこんな場をともにできるありがたさ……、いろいろなありがたさが一気に湧きあがってきたのです。
母は酒井さんのお話を聞いた一週間後に亡くなりました。
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仏教は、終末期だけのものではもちろんありません。いまを生きる人の大きなエネル
ギーにもなります。かつて日本にも、徳を積んで人間的な成長をうながすような、生きていく上で求められる宗教の役割がありました。
何かの宗派に入信しなければ、宗教を信じることにならないというわけではありません。宗教の本質さえわかれば、日常生活のなかに取り込み、活かすことができるのです。宗教のもつ人を一歩前に進める力、人を元気づける力を支えにして、もっと救いのある日本社会となってほしいと願っています。