当時の建築物はなくても

平安時代の都の中心であった大内裏(平安宮)は東西約1.2 キロ、南北約1.4キロの広さだったといわれています。ここに天皇の住居と行政の機能が集中していました。

東西南北に大路が走る碁盤の目のような都市設計は、当時も今も変わりません。ただし、平安京のメイン・ストリート、大内裏からのびる「朱雀大路(すざくおおじ)」の幅は約84mもあったそうです。ほぼ同じ場所を通る現在の千本通りが、広いところで25m 程度、狭いところで6mしかないことを考えると、平安京の街路のスケールの大きさがわかります。

幅が84m とは、道というよりも広場のようなもの。往時は、貴族たちを乗せた牛車がここを行き交っていたのです。

前述のように、現在の京都御所は『源氏物語』が書かれた当時の建築物ではありません。ただし、そのたたずまいは十分に往時を思わせます。

御所の塀には6つの門があり、それぞれに格式と用途が定められています。

ひとたび門をくぐれば、外の世界とは異なる厳かな空気を感じるでしょう。

『源氏物語』のなかの光源氏は、母亡きあと、父・桐壺帝に殊のほか愛されて育ちます。想像をたくましくすれば、あざやかな装束に身を包んだ光源氏が、優雅に舞う姿が見えるよう……。麗しき「光る君」を御簾越しに見つめる宮中の女たちのため息さえ聞こえてきそうです。