私の思い描いていた能登そのものだった

奥能登、にある「湯宿さか本」は、取材先の候補として提案されたいくつかの宿のひとつだったが、この宿の外観と食事に使われている漆器の写真を見るなり「ここにします」と即決したのは、フィレンツェで私が感受した能登の耽美が呼び覚まされたからだ。

ちなみに「さか本」のHPを見ると、こんなふうな紹介文がある。

もしかしたら、さか本は大いに好き嫌いを問う宿です。
なにしろ、部屋にテレビも電話もトイレもない。
冷房設備もないから、夏は団扇と木立をぬける風がたより。
冬は囲炉裏と薪ストーブだけ。
そう、いたらない、つくせない宿なんです。

真正の豊かさというものを知らずして、このような文言は生まれてこない。

玄関から奥へと続く黒い漆の塗られた廊下と、ほんのわずかな灯りの醸し出す陰翳礼讃的空間が圧倒的で、テレビや電話などを求めることが、おこがましい気持ちになる。

食事の際に使われる輪島の職人が作った美しい漆器も、魚醤“いしる”を薄く塗った宿の定番である極上の焼きおにぎりも、地元の漁港で揚がった魚たちも、源泉を薪で沸かした柔らかいお湯も、すべてが私の思い描いていた能登そのものだった。