監督への道を歩き始める
典吾が亡くなったのは98年です。亡くなる少し前から、私は娘たちとの日々を描いたアニメ映画をつくりたくて、出資者を求めてあっちこっちに手紙を出していました。
出資してくれそうな人に会いに福岡まで行ったものの話がうまく運ばず、ついでに宮崎の高鍋まで足を延ばしたら、以前から映画の題材として話に上がっていた石井十次(いしいじゅうじ)の銅像が立っていました。改めてどんな人だろうと思ったら、日本にまだ福祉という概念がなかった明治時代に、岡山に日本初の孤児院を作った人だっていうじゃない。銅像はあるけど出身地の高鍋でも忘れられかけていると知り、なんとかしたい、と思いました。
高鍋の人たちと会うようになって、「映画を撮りたいそうだけど、いくらかかるの?」と聞かれたから「1億円」と答えると、椅子から転げ落ちてたよ。「そんな金、作れるわけないでしょう」って。
だから私、「映画ができたら観られる、という製作協力券を1枚1000円で買ってもらって、それを資金にするんです」と説明したの。そしたらその場にいた女性が「面白い! あなたを気に入った。やるだけのことをやろう」と言ってくれました。
結局、先ほど話したアニメ『エンジェルがとんだ日』と、石井十次を描いた『石井のおとうさんありがとう』を私が撮ることに。典吾が死んで会社を閉鎖するかどうかという話も出たけれど、ここから私の監督人生が始まったんだね。
『石井のおとうさん~』は宮崎の新聞社からも取材されました。出演は松平健さん、永作博美さん、辰巳琢郎さん、竹下景子さん……と超一流。でも監督の名前は聞いたことがないって書かれてさ。(笑)
そういえば、内田吐夢監督の息子がうちの事務所にいた時期があったの。そのとき「チャコさんは映画監督になれるよ。絵が浮かんできて、それが目の前で動いてるんだもんな。典吾は絵が止まったまんまなんだよ」と言ってくれた。あのとき典吾はそっぽ向いてたけど(笑)、私にとってその言葉が背中を押してくれた気がしています。