「ありったけのフィルムを買い込んで、幼い娘たちのリュックに詰め込んでロケ地まで運んだこともありました」(撮影:洞澤佐智子)
〈発売中の『婦人公論』5月号から記事を先出し!〉
国内最高齢の女性監督、山田火砂子さんの新作映画『わたしのかあさん―天使の詩―』が公開された。夫の映画製作を支えたのちに自らも撮るようになったが、選ぶ題材は社会福祉、女性の地位向上、戦争……と一貫している。そこには「私が当事者である」という強い意識があった(構成=篠藤ゆり 撮影=洞澤佐智子)

<前編よりつづく

夫婦で映画をつくると理想に燃えて

映画監督の山田典吾(やまだてんご)と再婚したのは、43歳のとき。これがまた、いい加減な男でね(笑)。お金持ちの医者の息子でさ、助監督として東宝に入ったあと、芸能部の部長さんになったんです。

そのままいれば重役か社長になれたかもしれないのに、組合運動やったり共産党にかぶれたり。あの時代、インテリのぼんぼんは左翼にかぶれがちだったから。それで会社をやめて設立したのが、現代ぷろだくしょんだったわけ。

でも所詮は坊ちゃんだからお金のことがまったくわかっていない。俳優の山村聰さんが脚本・監督を務めた『蟹工船』(小林多喜二原作)を製作したときなんて、実際に工場を造ったらしいです。リアリズムが大事だとか言って。

今のお金で何億という額を使っちゃったんじゃないの? 知り合う前の話だけどね。そんなことをやっているから、出会ったときの典吾に財産という財産はなにもなかった。

最初、典吾が近づいてきたとき、思ったのよ。女優に復帰できるかもって。とんでもない見込み違いだった。それに典吾は東宝にいたといっても管理職だから、現場のことがあまりわかっていなくて、結局、私が裏方の仕事をすることになりました。まあ、「2人で障がい者映画をつくろう」なんて、私も理想に燃えちゃったんだけど。