「チャンスを最大限に生かしてきたからこそ、世界一という目標に辿り着けた、と」(撮影:岸隆子)
2024年4月14日に行われた、車いすテニスのジャパンオープン(飯塚国際車いすテニス大会)のシングルス決勝。男子はパリ・パラリンピック日本代表の小田凱人選手が優勝し、2連覇を果たしました。今回は、小田選手が車いすテニスを始めたきっかけから、数多くの大会で結果を残すまでの道のりを伺った、『婦人公論』2024年2月号のインタビュー記事を再配信します。

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今年パリで開催されるパラリンピックへの出場を決めた、車いすテニスの小田凱人(ときと)選手。強気な姿勢が持ち味の彼は、圧倒的な実力で世界を席巻中です(構成=吉井妙子 撮影=岸隆子)

有言実行できて自信に繋がった

――2023年シーズンは、僕にとって最高の年でした。まだ17年間しか生きていませんが、引退した後も、70歳、80歳になって自分の人生を振り返った時にも、間違いなく心に残る年になっているはずです。

17歳でなぜ世界のトップに立てたのか、競技を始めてまだ7年の選手が世界ランク1位になれた秘訣は何か、と取材のたびに聞かれます。

もちろん、それだけ車いすテニスに向き合い、練習に取り組んできたことで能力を発揮できたという自信はある。「車いすテニス以外なら負けてもいい。車いすテニスでは負けたくない」と、全力を尽くしてきましたから。

でも、人やタイミングに恵まれた部分も大きいと感じています。そうしたチャンスを最大限に生かしてきたからこそ、世界一という目標に辿り着けた、と。