歌人としても尊ばれた徽子女王
徽子女王は天慶八年(945)、母・藤原寛子の死によって帰京。
天暦二年(949)に新しい帝である村上天皇(朱雀天皇の弟。映画では板垣李光人さんが演じています)の後宮に、皇后にもなれる身分の妃「女御」として入りました。
当時「女御」は藤原忠平の孫(藤原師輔の娘)の藤原安子一人しかおらず、徽子女王は重要な妃として迎えられました。
それは彼女の「斎宮女御」という通称にも現れています。
なんといっても、彼女には元の斎王として、平将門の乱の時代を乗り切った実績がありました。そのうえ徽子は、歌人としても尊ばれていたのです。
彼女は長い間、元斎王以上に「三十六歌仙」として有名でした。
これは彼女が亡くなって30年ほど後の紫式部の時代に、村上天皇の皇子具平親王と藤原公任(『光る君へ』では町田啓太さんが演じています)によって選ばれた、過去の名歌人36人のことを指します。