箏も琴も芸術的に演奏

現在の「琴(こと)」、つまり13弦の琴は平安時代には「箏(そう)のこと」と呼ばれ(琴の音楽を「箏曲(そうきょく)」と呼ぶのはその名残)、それとは別に「琴(きん)のこと」という7弦の琴がありました。

「三十六歌仙画帖」より斎宮女御(住吉具慶画。江戸時代。斎宮歴史博物館蔵。斎宮歴史博物館企画展『源氏物語と斎宮』にて4/20〜6/2に展示中)

箏には琴柱という音階を決めるパーツがありますが、琴にはなく、弦を指で押さえて音を決めます。つまり、箏は決まった音を弾くピアノに近く、琴は自分で音を探すバイオリンに近い楽器でより難しく、反面、自由に音を動かせる楽器でした。

さらに箏は身分の高い女性も弾く楽器でしたが、琴は古代中国では、社会の秩序を表現する楽器とされ、皇帝や「君子」と呼ばれる男性の弾くものでした。

たとえば『源氏物語』で、光源氏が須磨に退去した時、秋の夜の徒然に弾いたのは琴。琴は紫式部の時代には主に皇族が弾く楽器で、廃れかけていたとも言われます。

一方『斎宮女御集』には、琴の音に惹かれた村上天皇が彼女の元に渡ってきても気にせず弾き続けた、というエピソードがあります。徽子女王は箏も琴も芸術的に演奏できた、男性以上の音楽家だったと言えるでしょう。